近年のインタビューの中では一番内容が充実しているもので、私のお気に入りの一つです。42分というとても長いものなので、2つに分けました。
このpart2では、ジョンソン元大統領との遭遇時のエピソード、ロバート・ケネディとの親交、そして彼の暗殺事件、葬儀の時の様子、プラハでのソ連軍侵攻、彼の今の政治に対するスタンスなどに触れています。いずれも自伝に書かれていることですが、彼の生の口で語られているので、更に興味深いものとなっています。
インタビューの始めは落ち着きなく指を動かしていましたが、最後は笑顔でリラックスして終わって、ホッとしました(笑)

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Part 1

Night Talk-Interview with Robert Vaughn-Bloomberg Oct 29 2008 Part2
RV:ブラザージョンを知っていたので、修道院にこもりました
MS:あの、あなたが話されたことに、バックレー氏はいろんな事柄をあなたが知っていることにとても驚いたようですね。
RV:ええ、
MS:ではちょっと休憩です。

ここでまた、「ファイアリングライン」のビデオクリイプが流れる
MS:再びロバート・ヴォーンと話を進めましょう。
   あなたの準備についてですが、
RV:ええ、私がそこへ行ったときには、その時起きている戦争についてのかなりの調査をしていただけでなく、準備していただけでなく、ベトナムの歴史についても、勉強していったんですよ、マオタイ、第二次世界対戦、ホーチミン、彼がトルーマンに援助を要請しようと努力したことなどをね。
そして、バックレーの著書で有名な「イエール大学における神と人間」も読んだのだと思います。私は老練なチャンピオンに対抗する対若き挑戦者のようなものだったのです。今思い出すと、彼の最初の質問は民主主義に対するもので、それに対して私はたくさんの事実で裏付けされた320語かくらいだったんです。 彼はあの有名な瞬きで、困惑していました
それで、彼は私が用意周到に準備してきたことを知ったのですよ。
MS:あなたが、こういう役割を担って行く過程で、あなたは、ご自身が積極的な政治活動家であると考えていましたか?

RV:いいえ、全く。たまに基金集めのためのスピーチをするくらいで、そういう活動をしたことはありませんね。ヒューバート・ハンフリーがミネアポリス基盤で私が育ったところですからね、彼のためにスピーチしたことはありますよ。
MS:それから間もなくして、ジョンソン大統領と遭遇したのですよね。
   誰かにあなたを紹介され、彼はあなたが発言していることが気に入ら   なかった。
RV:ええ、手短にその話をするとね、私はヨーロッパから帰ってきて、ロバート・ケネディーの家へ行くところだったのですよ。彼にキューバの葉巻を買って来てね。ジョンソン大統領の秘書がハウスをーミングパーティをするから来てくれないかと言うんですよ。私はロバートのところへ行くので、と断ったのですがね、じゃあ途中で寄って、テキサススタイルのパーティーだからと言うんですね。私はさらにタキシードだからと断ったのですが、ともかく途中なので、寄ることにしたんですよ。
私がそこに着くと、ファーストレーディのレディバードとか色々と紹介されましてね、そうしているうち、後ろの方で「はい、大統領閣下」「大統領閣下、こちらへどうぞ」とか聞こえてきたんですよ。「何が起きてるんだろう?」と振り向くとね、そこにリンデンがやってきたんです。完全なるカウボーイスタイルでね。198センチの身長にブーツを履いて、ボウシをかぶってね、210センチはあったでしょう、とても巨大でしたよ。

MS:笑う
そして、誰かが私を紹介すると、「ああ、君がスピーチをしている奴か!」と言い
彼は私をひっつかみ、彼の隣になるように引っ張ってね 顔を私に顔を近づけ、「じゃあ元気でな!」と言い、私をふきんの様に群集の中に放り投げたんですよ。
私は笑ったんですがね、彼は全く笑いませんでしたね。
それが、LBJとの遭遇でしたね。
MS:ロバート・ケネディと親交がありましたね。良い友人だったのですか?

RV:それは、「アンクル」がきっかけでね、彼らの子供たちが大ファンだったんです。
それで、彼らがUSCに来たときに私がホストだったので、「もし東海岸にくることがあったら是非寄って欲しい」と招待されたんですよ。ちょうど私もエルク・ソマーと共演の映画撮影のためにヨーロッパに行く予定があったのでね、立ち寄ったんですよね。
子供たち全員が空港に迎えに来てくれて、ボブはその日はミシシッピーで演説するので居なかったんですよ。だから、単に子供たちが「アンクル」という番組のファンであったことから始まった関係で、政治的な意図は全くなかったんです。
MS:あなたは、彼の情熱や考えについて語っていますが、彼の負の側面についても良く触れていますよね。

RV:ええ、そうですね、何を書いて、何を入れてないか良く忘れるのですが

MS:全部は入りきらないですからね。
私がある女性をそこの土曜日の午後の集まりに連れていった時のことですけどね。いつも、みんな集まって、タッチフットボールなどを競うんですよ。その女性は東海岸の裕福な人々の集まりに普通見られるようなタイプではなかったんです。ボビーは彼女の居心地の悪さを直ぐに感じ取り、飲み物はどう?とかなにか必要なものは?と気を使ったのですが、十分にもてなしてあげれなかったのです。その後すぐ、フットボールゲームをしていた時に彼が私にボールをパスしていたのですが、ブルマスという彼の大きな犬が中に入ってきて邪魔をしたので、彼が思いっきり蹴飛ばしたんですよ。その犬はまるで撃たれたかのような悲鳴を挙げてね、恐ろしい瞬間でした。有名な「良いボビー、悪いボビー」の一面です。
MS:彼は良い大統領になったと思いますか?

RV:ええ、とても良い大統領になっていただろうと思います。何故ならお兄さんとの経験があります。何がどうなって、我々がどうすべきかなどを示すことができたと思いますから。
MS:ロバート・ケネディの暗殺はあなたにとって大きな衝撃だったのですよね。とても近しい友人でしたし、ニューヨークての政治的な活動にも関わっていたのですよね

RV:ええ、アル・ローンスティンがジョンソン追い出し運動を作り出していて、私はその夜はロングアイランドの彼の家に滞在していたのです。ニューヨーク時間の午前3:10でしたね、とても暑い日で、ビールを手に椅子に座ったんです。そして突然白黒のTVが何が起きているかを写しだしたんです。そしてアルが帰宅し、出馬レースを諦めると話したんです。これについては岸辺を歩きながらしばらく話たのですがね、ともかく、私は一度ロサンゼルスに行き、葬儀列車に同乗するために戻ってきたんですよ。

MS:あなたはワシントンまでの葬儀列車に乗られたんですね
ここでまた休憩が入る
MS:それで、あなたはニューヨークでの葬儀に参列されてワシントンへの葬儀列車に一緒にのられたんですね

RV:ええ、列車は通常ワシントンまで4時間ほどかかるのですが、そのときは沢山の人が沿道に出ていて9時間かかりました。私の記憶に残っている映像は小さな赤ちゃんを片手に抱えて、敬礼をしている夫人の姿です。周辺に住んでいる人が大勢沿線に立ち、「さよならボビー」「私たちはチャンスを失った」などと書いて見送っていました。列車が到着したのは夜も遅くなってからなのですが、当初照明の用意をしていなかったのですよ。でもどうにか何千もの蝋燭を手にした人たちが集まって墓地までの道を照らしたんです。私の記憶に残るもっとも感動的な場面でした。
MS:あなたは棺のそばに立たれたのですよね。
RV:ええ、私はバリー・グレイのラジオ番組に出演後一緒に彼と一緒に教会まで歩いて行ったんです。何千もの人が中に入ろうと外で待っていました。そこで、私たちは棺のそばに立つようにいわれたんです。他に誰が居たのかは良く覚えていません。
MS:あなたはその後しばらくアメリカを離れましたね。
   映画の撮影ですね、それで当時のチェコスロバキアに行かれた。色々 なことが起きてるこの国から逃れるには良い場所だったのではないですか?

RV:ええ、出発前にアル・ローンスタインにたまたま会って、
  僕を訪ねチェコスロバキアにおいでよ、あそこでは今自由運動が芽生えてきているようだよ、と言ったですよ。でも彼は、これからシカゴに行って色々なアレンジをしなければならない、ハンフリーをレースにひっぱりだそうとしてるんだと言ったんですね。
RV:ともかく、長い話を手短に話しますとね、ソ連が一夜にして侵攻し、チェコスロバキアを占領したんです。キャストとスタッフはホテルに一週間軟禁されたんです。始めは皆この国際的な事件に遭遇して興奮したのですが、だんだんと日が経つにつれ、飲み物が無くなり、食べ物も無くなって行くと、興奮した気持ちもなくなり、恐怖だけが残りましたね。

MS:命の危険を感じましたか?

RV:しかるべき所へ手紙を書こうと話あってしていましたね
MS:昨夜バックリーとのデベードのクリップをみていて、興味を持ったことがあるのですが、あなたは彼の質問に対し、国連での取り決めから、細部にわたって挙げて立証していました。
40年前のベトナム戦争の時のシチュエーションとは異なるので、いきなり結論に結びつけたくはないのですが、今のイラク戦争のことを考えたとき、あなたはどのように思われましたか?
RV:ええ、それについてはですね、もし、仮に戦争をするのに国際法にそった正しい道があるとするのであれば、何度も何度も話が塗り替えられて来ています。誤った場所、誤った時期での誤った戦争と言えるでしょう。

MS:反戦運動においての最高潮とロバート・ケネディを失うというどん底を経験し、それをもってして、あなたはアメリカの政治に関わろうとする気持ちはまだありますか?

RV:いいえ、もう何も関与していないですね。私は主に夫であること、父親であることなどに重きをおいています。私自身が関わることはないですね。

MS:ドアは閉じられてということですか?

RV:そうだと言えますね。
MS:しかし、あなたのお仕事に関して言えば、先ほど触れた「ブリット」やスティーブと一緒の伝説的な映画、「スーパーマンV」など素晴らしい成功を収めておられます、そして最近の驚異的なBBCのヒットシリーズ「華麗なるペテン師たち」、こちらではAMCに出演されていますが、

RV:最初の4シーズンはそうですね、これから後のシーズンはBBCインタナショナルで放送されると思います。

MS:あ、そうですか。それであなたの演じておられる役については、ナポレオン・ソロの晩年の姿であると話しておられますね。
RV:それは、どういうことかと言いますとね、これには突然一晩で呼ばれ、2日後に撮影のために到着したという状況で、何も準備をしていないときに、プレスが沢山押し寄せてきて、「これはどんな役なのか?どう思いますか?」と次々に尋ねるので、私がその場で適当に作り出したんです。「ナポレオンソロが定年後政府の年金では贅沢な生活ができないので、持っている才能を異なった方面で使おうと決めたんじゃないかな」などとね。それがずっと私の略歴に載り続けているんですよ。
MS:以前に楽しんでいたのと同じように今でも演技を楽しんでおられますか?
RV:ええ、こういう良い番組だと、特に楽しいですね。

MS:今と50年前との違いはなんですか?

RV:女性ですね。女性がどこにでも居ますね。

MS:どう言う意味ですか?

RV:昔はセットにいた女性はスクリプトガールだけだったんですよ。今はあらゆる仕事に女性が参加できる、これは素敵なことです。それが一番大きな違いですね。それ以外は基本的に新しいカメラとか、そう言ったことですね。
MS;そして昨年はアンクルのDVDが発売されましたね。ファンの信仰も未だに強いです。DVDはご覧になりましたか?

RV:いいえ、(きっぱり!)デイビッドと私は別々にと一緒にインタビューに答えたんで、それもDVDに入っていると思います。

MS:もしご覧になったら、何と言うでしょうね。

RV:そうですね、「こいつは誰だ?」というでしょうね、髪も黒いしね(笑)


MS:多くの人に代わって、ずっと私たちを楽しませてくれたこと、そしてこの本を通じてあなたの異なる側面を教えてくれたことに感謝いたします。

RV:ありがとう。