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そうだね。1964年の秋にアンクルの第一シーズンだったんだけど、ロシアの陸上チームがLAのコロシアムでの国際試合のために訪米していたんだ。 |
それでトラック競技の一段がMGMの食堂を訪れてね、だれか俳優に会えないかとね、だからその日撮影所にいた私たちは皆集まるように言われて集合したんだ。それでチームが来てね、 | ![]() |
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確か彼らは3つCと書かれたユニフォームを着ていたな。彼らは全く英語を話さなかったんだけど、男の人が一人私の所へやって来て、あとでそれが誰なのかわかったけれど、私に英語で話かけてきた。彼の名前はワレリー・ブルメルと言って、当時の走高跳の世界チャンピオンだったんだ。彼は少し英語が出来て、驚いたことに俳優としての私に気がついたんだよ。まだこの番組が世界で放映されていないときだったからね。でも、彼はモスクワで2年間1つの劇場でやっていた「荒野の7人」を何度も何度も見ていたので、私に気づいたんだね。だからとても楽しい会話をして、彼は私にメダルを見せてくれた。それでチームを代表してそれをくれると言ってね。とても驚き感動したけれど。 |
それで別れるときに、「次に私の国に来るときには是非私に知らせて欲しい、案内するから」と言ってくれた。 私は「実際のところ、そんなにそちらに行くことはないと思うし、実は一度も行ったことはないですよ。」と答えた。 彼が「じゃあ、ぜひ来てください。」と言うので、どうやって行けるのかを訪ねた。 |
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(そしたら、こうやって、ああやって、と説明してくれてね、私も「ええ、それなら」と答えたんだよ、お酒の席の話だし、翌日には忘れることだと思ってね。 ところが、インツーリストから男の人がやって来てね、当時ソ連に行くにはインツーリストを通さないとならなかったんよ。そして、全てがMGMによってアレンジされていて、1964年のクリスマスの日にアメリカを立ち、5日間ソ連にいてその年の大晦日に帰って来たと言うわけさ。、 |