BACK

HOME

Filmfax:OUTRE
ページ毎の抜粋翻訳
    

NEXT

Fax:アンクルの人気が絶頂期にスパイ物「ベネチタ事件」

1966)を作っていますね。これはイアン・フレミングよりはジョン・ル・カレに近いような作品でしたが、これはタイプキャストを避けるために、あなたが意図的に試みたものですか?

RV:ええ、でも私が意図的にしたことではなく、MGMサイドの意向でした。彼らは

  沢山の脚本をオファーしてきました。私の記憶によると、彼らとの取引は、もし私が「ベネチタ事件」をやったなら、この反ソロ的な、見かけから全部―さえない、暗い感じの性格で憂鬱なセッッティング―の役をやったなら、「アホウドリなんて誰も愛さない」と言うタイトルのコメディ映画をやらせてくれるはずだったんです。この映画は後に私の妻とやった舞台に基づいたものだったんですけどね。「アルバトロス」映画はコメディでしたが、実現しませんでした。MGMが人を移動させたんです。スタジオの責任者だったロバート・ウエイトマン、彼が私とその取引をしたのですが、もういなくて、その映画は作られなかった。つまり、私は「ベネチタ事件」という映画を決して作成されることのないコメディと引き換えにしたと言う事です。

FAX:同じ頃に、あなたは姉妹番組の「アンクルから来た女」の「マザーマフィン事件」に出ていますね。「ベネチタ事件」で共演したボリス・カーロフ氏と。これは何か関係があったのですか?

RV:いいえ、たまたま彼らが私に出演するように言い、私は「アンクル」と「アンクルから来た女」のセットを急いで行ったり来たりし、ボリスがちょうどそこにいた、ということです。単なる偶然です。

FAX:「ブリット」(1968)での役が後のあなたの「スーパーマンV」のような映画で演じるような心の歪んだ権力者の型になったと言ってもいいでしょうか?

RV:正にそうですね。テレビでも同じことが言えます。―つまり、「権力と陰謀」におけ るHR・ハルデマンの役は「ブリット」での役の変形でした。だからそう言っても良いと思いますね。

TVのヒット番組に出演したほとんどの人はヒット映画に出演するのにとてつもなく長い時間待たなくてはならないんですよ。これが、私にとって「アンクル」シリーズが終了後のはじめての映画で、確か1968年の7番目の興行収入をあげた映画のはずです。だから私はとても幸運だったといえるでしょう、このような本当に大ヒット映画にすぐに出演できたんですからね。ご存知のように、TVシリーズの出演者のほとんどは、その番組がどんなに長く続いたものでも、突然消えてしまうことが多いですからね

Outre:SOB,スタチュー(1970)、そしてベースケットボール(1998)はあなたの数少ないコメディー作品ですね。こういうコメディー作品をもっとやるべきだったという後悔はありますか?

RV:スーパーマンVもコメディーでしたよ。

  ええ、もっと作るべきだったと思っています。 何故なら、私は深刻なセットにいるよりも、ジョークや笑いが飛び交うセットにいる方がより幸せにかんじるからです、私は本当にそんなに真面目な人間ではないんですよ。

  ベースケットボールはここ数年では一番楽しかった作品です。それは本当に愉快なセットでね、デイビッド・ザッカー監督はとてつもなく面白くて、他の製作者たちも皆すごく愉快だった、そして、主役を演じた若い二人、トレイ・パーカーとマット・ストーン、サウスパークのね、もすごく愉快で、それはそれはとても幸せな経験でしたよ。

Outre:ベースケットボールがもっとあなたにコメディーに出演する機会をもたらすことを願っていますか?

RV:ええ、そのとおりです。 私はなによりもコメディーをすることが好きなんですよ。

  私の残りの人生での一番の夢はなにか幸せなホームドラマに出演し、朝の10時にセットに来て、午後4時に終わる、撮影は一週間に4日で、いつも幸せと笑いに満ちている。

去年「ナニー」に出たのですが、それは本当に楽しい経験でした。何故なら深刻な作品に比べると、撮影時間は短いし、とても簡単でしたから。

Outre:「ベリィドアライブ」はおそらくあなたの唯一のホラー作品でしたね。

RV:いえいえ、一つ良い作品を忘れてますよ。

  「トランシルバニアツイスト」(1991)、私がオーロック卿というベラ・ルゴシのような役を演じた作品です。 あれはロジャー・コーマン映画でジム・ワイノルスキ監督、コーマンコンコルド映画でした。 愉快なホラー作品ですよ。身の毛もよだつようなものではありませんけどね、あれはとても楽しい脚本でした。私の娘が八歳のときにテープを手にしてね、一日中それを見ていましたよ。彼女はそれまでに見た中で一番面白いと思ったらしいですよ。

outre:「バトルビヨンドスターズ」(1980)、「ブラックムーンライジング」と「大統領暗殺計画」(1987)とロジャー・コーマンのニューワールドピクチャーに出演しされています。

彼の手法は「ティーンエイジケイブマン」の時から変わっていましたか?


RV:いいえ、いまだに早く作りますね。予算は大きくなっているみたいですけど。  私が「ティーンエイジケイブマン」のときにいくらもらったかは思い出せませんが、初めて新車のキャデラックをそれで購入できました。2週間の撮影で得た全てのサラリーが、1958年の車の価格だったんです。

ロジャーはその映画を監督しましたが、他のは違います、でも彼はいつも同じ手法で映画を作りますよ。

彼は、映画を作って損をしたことがないと自信を持って言ってますが、その資格はあると思いますね。批評家たちを喜ばせたり、衝撃を与えたりするような映画を多くは作ってはいませんが、収益を上げる映画を作るということでは1000%成功していると思いますよ。


outre:一つだけ例外があるとおもうのですが、「イントルーダー」(1961)です。

RV:それは知りませんでしたね。 奇妙なことにね、ロジャーはジュリーと結婚してね、彼女の姓はハロランという    のですが、−いつもちゃんと考えないとわからないのですがー彼女は私の祖母の弟の孫娘なんですよ、だからロジャーと私は血はつながっていないけれど、つながりはあるということです。ロジャーは映画については素晴らしいセンスをもっています。たとえば、「クライズアンドウィスパー」(1972)や「アマルコード」(1974)を発表したり、あるいは、製作はしなくても何らかの形で関与したりね。彼は

良い映画の作り方を本当に知っていると思いますよ。センスが良い。彼は多くの人からは

「ああ、ロジャー・コーマン作品ね」と滑稽な感じで受け止められますけどーご存知のように、ロバート・タウニ、フランシス・コッポラやこういう人たちに最初のブレークのチャンスをあげているんですよ。だから彼は色んな面で良いテイストを持っているんです。


outre: ジョン・セイルズの書いた「バトルビヨンド。。。」は基本的に「荒野の7人」の宇宙版のリメイクですね。   両方に出演した唯一のメンバーですが、何かオリジナルから変えようとしましたか?


RV: いいえ、全く。 私は誰かに言われるまで、そのことに気づきもしなかったのです。

監督がジミー・村上という日本人監督でね、私はそちらに興味があったのですよ。基本的にはジョージ・ペパードと一緒に役者として雇われただけでした。そして突然誰かが「ねえ、これは荒野の7人の宇宙版だよね」と言い、私は「ええ?本当?それは知らなかった」と言ったんですよ、そのころにはもう撮影はほとんど終わっていました。