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ロバート・ヴォーン、アンクルから政治までを語る
今週のTVミニシリーズ「権力と陰謀」のフランク・フラハティーを演ずるのにロバート・ヴォーンを配役することには少しの皮肉もない。
今年44歳のヴォーンは、MFUでの活躍が一番良く知られおり、さらには1968年のマッカーシー、1972年のマクガヴァンの大統領選挙運動をした、活動的な民主党支持者であることでも知られていた。
彼は未だに充分政治家である、というのも今度のミニシリーズがジョン・アーリックマンが書いた"The Compay"がベースになっていても、彼が演じるフラハティーがハルデマンを映し出しているのではないと、
充分に断定するからである。
ヴォーンによれば、もし、彼がハルディマンを演じるのであれば、彼について見つけられる全ての資料ー大学における政治学の論文でさえも含み、読んだであろう、しかし、フラハティーは、ただの横柄で冷酷な奴でMFUをやる前によく演じた嫌な奴と似ている、と言う。
ヴォーンは12歳のときに芝居を始めた。ミネソタ大でスポーツジャーナリストを目指した後、ロサンゼルス州立大学で舞台芸術学で修士号を1956年に取得、その4年後、「都会のジャングル」でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。そぁそ。彼が本当にスターとしての地位を確立したのは1964年にはじまり、4年続いたMFUにおいてであった。
1966年のはじめ、彼は反ベトナム戦争を訴え1000以上もの演説を行い、その結果必然的に「Man from K.R.E.M.L..I..N.」と称されるほどであった。
彼が当時のジョンソン大統領にあったときのことを、「LBJはあの響き渡る、大きなとどろくような声で、{そうか、お前がスピーチをしている奴か!}と言い、彼の大きな腕で私を意地悪そうに抱きかかえ、投げ飛ばしんだ」と、渋い顔をして振り返る。
ヴォーンはケネディ家とは上手く折があっていた。1960年にはJFKの大統領選挙運動をし、ロバート・ケネディーのこどもたちが熱狂的なアンクルファンになったとき、ヴァージニア州ヒッコリーヒルの彼らの家に招待された。家中がナポレオン・ソロのヴォーンのポスターが貼られていた。
彼は続いて起きた恐怖の想い出を語った、「子どもたちは私を6時に起こし、アトニージェネラルという名のお父さんの馬に私を乗せたんです。その馬は今まで私が乗った馬の中で、もっとも大きく、早く、そして意地悪な馬でした。私は映画用の馬ー監督が「アクション!」と叫べば前に動き、命令通りに停止することができるーには乗れたのですが、この馬は全速力で走ったんです。私の人生の中で一番恐ろしい経験のうちのひとつです。」
ヴォーンはMFU撮影中も大学でコミュニケーション分野の博士号取得に向け研究をしていた。(彼の50年代のハリウッドにおける赤狩りに関する学術論文はその後"Only Victims"として発刊された)
彼は自分自身も政治家になることも考えていたようだ。しかし、1968年のロバート・ケネディーが暗殺されたことは彼にとってはことのほか衝撃で、その後の5年間は国を離れてしまったほどであった。
「私は落胆し、闘うための勇気がなくなりました。」
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1965年のパサディナ劇場での舞台ハムレットをある評論家に「考えられないくらいの最悪の演技」と酷評されたにも関わらず、ヴォーンのアンクル後のキャリアは"ブリット", "プロテクター", "タワリングインフェルノ"と次つぎとつながっていった。
彼はこの間の1970年シカゴへも行き、舞台”Tender Trap"で女優リンダ・スタアブと共演している。ナタリー・ウッドや喜劇女優のジョイス・ジャミスンなど多くの女優をエスコートしたハリウッドの熱愛される独身貴族の彼だが、はじめはスタアブを感激させることは出来なかったようだ。
「私はRFKのこと以外いっさい話すことのできない心の歪んだ男性に会ってしまったと思いました。」と出会いを思い起した。「でもしばらくしたら、私たちは政治のことをもう話していないことに気がついたんです。 彼らはそれから四年間一緒に暮らし、ヴォーンが仕事をしていたヨーロッパを一緒に周り、そしてついに、1974年に結婚をした。
ヴォーンは今1歳半の養子キャシディーを熱愛する父となり、(彼自身の父はラジオ俳優、母は舞台女優で彼が6ケ月の時に離婚している) 「心からの資本主義者である」(訳者注:クレムリンから来た男に対する皮肉)彼は、
ビバリーヒルズのフランスの田舎のお城のような家をリンダが自由に飾り付けていくのを楽しんでいる。
ヴォーンは積極的に政治的活動をするのを辞めたことに対し満足しているように見える。カーター大統領をーウイルソン大統領以来の知性にあふれた洞察力のある熱心な大統領ーとして支持はしても、運動はしていない。
しかし、彼の政治的本能を演技への強みとして方向転換したようだ。1974年TVムービーでトルーマン大統領、「権力と陰謀」で大統領補佐官フラハティー、そして今、フランクリン・ルーズベルト大統領を来年ブロードウェイで始まる 独り舞台で演じる。
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ドール・シャーリー(劇作家)は「彼はFDRが持っていた教養、スタイル、嫌み、皮肉を兼ね備えている。あの横顔を観て、あの貴族のような鼻。この劇を書いているときはロバート・ヴォーンを念頭に置いていたわけではないのだけれども、彼がの名前を聞いた時、即座に"yes"と答えたよ」と語る。
ヴォーンは今この舞台を成功させるため準備に余念がない、FDRについての研究、車いす、杖の使い方にいたるまで、に没頭している。
今ようやくあのヴォーンが舞台に戻って来た、彼は今TVシリーズに戻ることに熱意はない。
「今、彼はようやく役者に戻れたと感じているのよ」と奥さんのリンダが語った。
*記者注:ヴォーンは1978年 ドラマシリーズ「権力と陰謀」でエミー賞の助演男優賞を受賞している。
訳者注*1 sarcasm 嫌み −人を傷つける意図がある
irony 皮肉 -ユーモアがあり、人を傷つける意図はない |